[NO "Futon", NO LIFE.]

小川楓太のはてなブログ

我が家は有頂天家族

従兄弟の母親(つまり伯母さん)が家に来た。祖母が使わなくなった和服を届けに来たようだ。祖母か祖父が死んだときに着るようらしい。縁起わる…。

伯母さんは母とは似つかず(失礼)美人だ。母曰く、高校時代まではヤンキーだったのに大学入試で一念発起してフェリス女子大に行ってから変わったらしい。そんなものなのか。

 

従兄弟は男二人兄弟で、上の従兄弟は来年度から国会図書館に勤めるそうだ。京都にも分館ができるそうで、そっち志望らしい。昔「大神」を勧められたしそういう日本ぽいものが好きなのかもしれない。有頂天家族とか読んでいるのだろうか。読んでいそうだ。

下の従兄弟は同い年で高校三年生だ。「NES 2013」にも参加していて従兄弟として以外の接点も多い。

 

有頂天家族 (幻冬舎文庫)

有頂天家族 (幻冬舎文庫)

 

 

有頂天家族家族のアニメは京都の“街”の良さがそこここに現れていて大好きだった。文化庁メディア芸術祭で賞を取ったらしいが、大賞でもよかったんじゃないかと思う。アニメは背景が大部分を締めるから“街”を描くにはもってこいのメディアなのかもしれない。

 

ストーリーとしては、狸と天狗と人間が共存する京都の街でのドタバタを狸視点(といってもほとんどの狸は普段人間に化けている)で描かれるというもの。天狗が少女だった時にさらってきて天狗の空飛ぶ技を教え込んだ弁天がいい味出してる。妖艶で可憐というかなんというか。でもなんといっても、狸鍋にされて死んでしまった下鴨総一郎の「面白きことは良きことなり!」って言葉が印象的なのです。一話だけでも見ることおすすめします。たぶんニコニコとかで無料で見れるんじゃないかな。

 

 

10年後、20年後ふたりはどうなってるんだろう。うちの家族も「面白きことは良きことなり!」って感じで生きていきたい。

おみくじ

あけましておめでとうございます。ブログではお久しぶりです。

なぜいきなりブログを書こうと思ったかと言いますと、結論から言うととてつもなくおみくじが悪かったんです。凶ではないんですよ、凶では。

末吉

何をしても思わしくありませんから控え目にすることです。これまでの職業を守り真面目に働くことです。そのうちに悪い運は去り幸せな時がきます。

 だそうです。裏には「教え」として

教え

一生は旅の山路と思うべし平地は少し、峠たくさん。

と書いてありました。なんと不吉なおみくじなのでしょうか…。

これから受験なのにもう落ちることが決まっているような口ぶりです。やめてください。あと「争事」には「他人にさまたげられて負ける様です。」とも書いてありました…。

はい、これを見てわかるようにこのおみくじすごく辛辣なのです。うちの氏神様である白金氷川神社で引いてきたのですが、いやはや。両親のおみくじもとても辛辣で良くないことが起こると書いてありました。

 

さて、普通ならば「これまでの職業を守り」と書いてあるし勉強に邁進するしかないな、と思うのでしょうがぼくの場合はどうなんでしょう。これまで一切勉強してこなかったのに「これまでの職業」が勉強なのか? ちょっとわかりかねます。

 

昨年は夏にネコのミミがマンションの人除けの柵に刺さってネコのICUに入ったり、年末に父親が網膜剥離を起こして失明しかけたりと(デザイナーという仕事柄目がはっきり見えないとできないのでかなりの大事件なのです)災難が多かったように思います。

今年はそういうことがないといいな。「そのうちに悪い運は去」るようですがそのうちっていつなんでしょうね。来年とかやめてね。

10年後テレビがのし上がる唯一のストーリー 〜スマートTVはテレビの敵だ!〜

AO入試の関係もあって「アルゴリズムによるパーソナライゼーション」俗にいうフィルターバブルについて考えている日々です。「フィルターバブル」って何という人は、イーライ・パリサーのTEDを見てください。

イーライ・パリザー:危険なインターネット上の「フィルターに囲まれた世界」 | Video on TED.com

 

僕は、TVとくにプラズマTVが大好きで、現在開催中のCEATECの記事なども熱心にチェックしています。たしか日本で一般人が初めて4K製品を見る機会だった、CEATEC 2011にも足を運んでいたぐらいです。どの会社もプラズマをやめてしまってパナソニックだけってのは寂しい限りです。パイオニアには撤退しないで欲しかったな。

僕がここでTVといっていたのはガジェットという物としての「テレビ」です。放送局から電波を受信して決まった番組を日本中の人が見ているという所謂テレビではありません。大画面のディスプレイガジェットとしてのTVは残るでしょうが、放送を受信してCMスポンサーにお金が入って視聴率が重要なテレビとテレビ局は、多くの人が指摘しているように今後なくなってしまうのではないかと考えています。

 

では、テレビにはインターネットが覆い尽くした世界において有用なサービスとしての再解釈可能性はもうないのでしょうか。

現時点ではないのかもしれません。しかし、10年後自分に適した(気持ちのいい)情報しか手に入らない環境がWeb上に形成されてしまった世界では違うかもしれません。自分の行動や思考、嗜好に合った情報にキュレーションされているWebとは違って、テレビは(どこの誰にとっても同じ)電波を映すというアーキテクチャに縛られているからです。パーソナライゼーションやキュレーションのしようがありません。アーキテクチャの原理上パーソナライゼーションできないという安心感が売りになる可能性は十分にあります。まるで震災で停電した時に黒電話だけは電気がなくても使えたように。

 

ただしこれには懸念もあります。スマートTVです。

Appleが開発中という噂の真打ちが登場するまではおもちゃみたいなレベルですが、AppleのTVはそんな甘くないと思います。たぶんCMとかもAppleを通さないと出せないような仕組みにして今まで周波数やリモコンのボタンの数の限界でテレビ局が独占していた広告料をすべてIT業界に流れるような仕組みにするのではないか、と予測しています。テレビ局は巨大なプラットフォーマーから巨大なコンテンツパブリッシャーに落とされるでしょう。

少し話がそれましたが、つまりテレビの「電波に乗った全国一律の放送を流す」という仕組み、つまりアーキテクチャが壊される可能性があります。もしそうなってしまえば上で述べた希望はなくなるでしょう。

 

結論としては、半端なデータ放送とかでインタラクティブなWebみたいな放送を目指すのではなく、テレビはトップダウンの全国一律放送を続ければ、10年後に人々に望まれてのし上がる可能性があるかもね、ってことでした。

「enchantMOON」とか文字を主体としたシステムって、こんなところが危ういかも

先日やっとしっかりenchantMOONを触りました。

話は変わりますが、コンピュータの世界では番号とか一意でなくてはならないそうです。

一意とは… 意味や値が一つに確定していること。 だそうです。「一意に識別する」とか聞いたことありますよね。

言葉ってたくさんの意味があってそのいろんな意味をあるいみ一意でなく扱ってる現代のコンピュータはすごいなと思いました。内部では当然そのひとつひとつの意味が一意にデータベース登録されてるんでしょうが。そして文字自体をコマンドにしていることは少ないでしょうから意味とかどうでもいいんでしょうが。

しかし、enchantMOONとかその他音声認識系、文字認識系のシステムってここはどうなってるんでしょう。とくに単語だけで操作するenchatMOONは他の文字認識系システムよりシビアなはずです。

例えば、「更新」という文字コマンドがあったとして、それは通常の操作ならばシステムアップデートを意味するそうなのですが、Webサイトをリロードしたい時にも使う言葉です。あとは新しいデータを引っ張ってくるときとかも使う言葉じゃないかな。

つまり、「更新」という言葉はenchantMOONというコンピュータの上で使うと想定されるような意味だけでこれだけ多様な意味があるのです。

そして当然それをコンピュータが(インプットされない使用者の状態や気持ちという)文脈を読んで自動的にコマンドを流動的に変化させることはできないはずです(できる仕組みとかあるんでしょうか。わかりません。)。よって、現状「更新」と書けば現状ではシステムアップデートが行われます。

しかし、これは清水さんが提唱するenchantMOONの真の姿なんでしょうか。清水さんは「NO UI」でしか実現できないことがあるとおっしゃっていました。UIは思考を規定してしまうと。

しかし現状ではその「NO UI」に縛られているようにしか見えません。UIがないことで文字が多様な意味を持てず、多義的な言葉の世界のほんの一旦にしかアクセスできない、それこそ思考を規定させてしまうデバイスのような気がしたのです。

まったく見当違いのとこを書いてる可能性もありますがそういう風に思った人もいたということで。ちなみにハードウェアとしては好きでした。ハンドルが金属だとなおいいんでしょうが。

走ると新たな発見がある

一昨日、品川臨海部を8キロぐらいランニングしてきた。

久しぶりに走ったので、カッコつけてやってんじゃないと、と母親にバカにされたけど…。

 

じつは、品川の駅向こう(東側)はあんまり行ったことがなかった。マイクロソフト日本法人の本社やキャノンの本社があることは知っていたけど、行く機会は無かった。

品川の駅に隣接したビジネスビル群はシームレスに繋がっていて、この辺りがオフィスだと便利だろうなと思った。

 

ランニングなので特に目的地もなく、海が見える所まで行って帰ってこようかなと思って出発した。

臨海部、とくに埋立てで出来た土地にある新興住宅地まで行くと子どもたちが多かった。小学校中学年から幼稚園児ぐらいまでの子が道で遊んでる所を何度も通り過ぎた。夕暮れ時で、いくら7月頃の気候だったとはいえ肌寒くなってきていた(俺は走っていたので汗ダラダラだったけど)。そんな時間に子どもたちだけで遊んでいるなんてよほど仲がいいんだなと思った。その年頃の俺だったら遊戯王で遊んでたと思うw

 

疲れてきたので、通りかかったスーパーでアイスを買って、店先のベンチで食べているとおじいさんたちが仲良さそうに話している声が聞こえてきた。

「どうしてこんなにすぐに木がかれちゃうんだろうねぇ。それに森みたいなところも無いし。」「ほんとにねぇ。」埋立て地なのだから森は無いし、木が枯れるのは潮風の影響だろうJK、って思ったけど、なんか和んだ。

 

しかしなんでこれほどまでに地域コミュニティーが発達しているのだろう。復路を走りながら考えた。

待てよ。よくよく考えてみると走っていてもビジネスビルばかりでマンションの割合がほかの埋立て地(月島とか豊洲とか)に比べて少なかった気がする。

以前見たNHKスペシャルで、たしか豊洲の新規開校した小学校でクラスの1/3が同じマンションに、残りの1/3もほかのマンションだけど何人かは同じマンションで住んでいるとう話を聞いた気がする。豊洲よりもさらに住宅が少ないのだからさらに密集して住むことになるだろう。

つまり、品川臨海部の小学校や高齢者は同じマンションのコミュニティーで仲良く暮らしているのではないかと考えた。

確かに小学生の頃同じマンションにクラスの1/3も住んでいたら楽しかっただろうな。

 

 

 

おまけ

ランニング中に撮った写真