DMMに入社して一ヶ月が経った
はてなブックマークは快調だが、はてなブログはご無沙汰だった。
ひと月ほど前から株式会社DMM.comラボという会社で仕事している。
このFacebook書いた頃はわかってなかったが、ようやく自分がどういうポジションなのか見えてきた気がするので書く。
まず、よく勘違いさせるのだが、自分はアカデミー生ではない。Facebookで「DMMアカデミー」って単語を書いたのがよくなかったのだと思うけれど。
むしろ社内的には何の関係もない。
アカデミー生は、アカデミー生だけのSlackがあったり会長と週に一回ミーティングしたりしてるらしいけど、もちろんそういったことには参加してない。
ただ、個人的には最終面接で知り合った友達も何人かアカデミーに合格していたので、彼らと飲みに行ったりはするけど。
アカデミーとの一番の違いは、明確に成果が求められるところだ。
入る前から、どうせやるならタームごとにしっかり成果を出そう、という話になっていた。
会社における成果とは二つしかない。
入ってくるお金を増やすこと
出ていくお金を減らすこと
このどちらかをしなければいけないわけだ。
ただ、まずは一ヶ月ぐらいDMMを知ってほしいということで、放流してもらったので、全巻揃ってるオライリー本を読んだり📚、色んな部署に顔を出して友達を増やしたり🤝していた。
自分の上長が管轄している部署は、元々IT戦略本部といってAWSなどのパブリッククラウドを活用できる下地を作っていたが、自分が入った日に組織改編があって、旧情報サービス部と統合して、情報システム部という名前になった。
情報システム部は、社内のネットワークであったり端末であったりSaaSなんかを管理している部署で、そこをエンジニア視点からもっと効率化して、世界に誇れるようにしようぜ!ってことで統合したらしい。
メルカリとか、最近のベンチャーはすごいですもんね。
部署がら近道なのは「出ていくお金を減らすこと」だとは思う。
ってなことを考えてる間に一ヶ月ぐらい経ってしまい、さて具体的にどんなプロジェクトをやろうかと。
改めて色んな人にヒアリングし、いまのDMMの問題点をリサーチして、30個ぐらい案を考えた後、効果がありそうなもの7つに絞って持って行った。
一応簡単にまとめたスライドも作って、それを使いつつ、ひとつひとつのプロジェクト案について説明した。すると…
こういうことは、恐らく大学院の研究テーマを決めるときに言われたりするんだと思うけど、小粒だね。小さい。狭い。
期待してるのは、それが上手くいったらDMMの新しい事業になったり、亀っち(会長)からお金もらって会社にしたりできるぐらいの可能性のあること。
別の言い方をすると、それに命かけられるぐらいのパッション。それがまずはあることから考えて欲しい。
部署のことだったり、周りのみんながやっている仕事を起点に考えてくれたのはありがたいけれど、それ以上のことを期待してるから!
部署の既存業務なんかに使ってたら沼野井さん(人事部長)に殺されるわっ笑
要約すると、だいたいこんなようなというようなことを言われた。
Facebookのコメントに、昔からお世話になっているある方が「民間枠の未踏みたいなもんですね!」と書いてくださったのだが、まさにそうだったみたい。
大企業だし「とりあえず面白いヤツだから囲っておいた」ぐらいの感じで入れてくれたのかと思ってたら大間違い。
こりゃ本腰入れて頑張らにゃですね!
まだ見ぬ未来に続く道/清水亮「プログラミングバカ一代」を読んだ
清水亮さんが20年来書いてきたというブログを再編集した本「プログラミングバカ一代」を読んだ。
20年というのは、ぼくが生まれてからいままでということだ。
- 作者: 清水亮,後藤大喜
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 2015/07/25
- メディア: 単行本
- この商品を含むブログ (6件) を見る
今週末は法事のため、母方の実家である金沢に帰っていた。今年頭に新幹線が開通して近くなったとはいえ片道3時間弱はかかるので、発売日にAmazonから届いていたものの危うく積読になりかけていた「プログラミングバカ一代」を持ってきた。
ぼくは本が届くと、まず前書きだけを読む。読んで惹きつけられればとりあえず机の上に置いておくが、惹きつけられなければそのまま本棚にしまわれる。そして、本が必要なときは机の上に置かれている中から気分で選んで持っていくのだ(Kindleの本もあるので持っていくのはガッツリ読めるときくらいだけど…)。
「プログラミングバカ一代」はenchantMOONなどで知られるUEI社長の清水亮さんのブログを共著者の後藤大喜さんが編集したものだ。
そもそも清水さんは、読みやすい文体と濃密な内容で有名なブロガーでもある。ブログははてなダイアリーを始めるずっと前から書いてきたらしく、曰く「エヴァンゲリオン放映時の1995年から20年にわたって書き続けてきた」そうだ。
清水さんとは、東浩紀さんが主宰していた研究会「福島第一原発観光地化計画」に、ぼくが無理いってオブザーバーとして参加させてもらっていたときに何度かお会いしている。
ゲンロンカフェのプレオープンパーティーでは、Togetterの代表・yositosiさんやUEIの他の社員さんを紹介してもらったりと、とても親切にして頂いたことをよく覚えている。
(写真:ゲンロンカフェプレオープン)
そういうわけで読み始めた「プログラミングバカ一代」だったのだが、あまりにも面白かった。面白すぎて金沢観光が味気ないものに感じられるほどだった。
田舎のプログラミングが好きな学生だった清水さんが、中高校生時代を4年も注ぎ込んで作り上げた3Dグラフィックスライブラリについて書いた記事をアスキーに送り掲載され、そして大学進学と共に上京しライバルと呼べる人たちと出会い、ドワンゴでケータイゲームをブレイクさせ、UEIとして独立し、そしてenchantMOONを発明して、遂に歴史の最先端、本当のフロンティアに立ったという物語だ。
本をそのまま読むと天才が時代を背負うまでの話という感じなのだが、実際にはもう少し生活感がある話なのかなと想像したりもする(妙に張り切っているときは、じつは女性にふられた後…とか)。
ぼくやぼくが直接見た現場を書いた記事も清水さんのブログにはあるのだが、経験上、多少の脚色があるので読んだ感覚 x 0.8 ぐらいだと思うのが丁度いいのかもしれない。
ズルいのは、明確に脚色したりしないこと。読者が勝手に誇張して想像するように書かれているのだ。そして恐らく誇張された受け取り方をしていても否定はしない。まさに初期ドワンゴがやっていた営業手法とそっくり(笑)。
もちろんそれは、悪い意味ではなく、むしろ最高だ! 清水さんは話を聞いていてもブログを読んでいても人をワクワクさせる。
この人はドワンゴにもともと向いてなかったんじゃないかな。「エンジニアなのに焼きそば焼くとか楽しすぎ!wwww」って思えなかったわけで。俺は喜んで肉焼くけど http://t.co/WXr3IMZV4i
— Ryo Shimizu (@shi3z) 2015, 9月 2
最近の話題だと、このツイートがまさに人柄を表していると思う。つまり、何事も全力で楽しんでしまう人なのだ。
だから人を楽しませることができる。
本は、プログラミングの天才として描いているけれど、実は人を楽しませる天才でもあるのではないかと思う。
だからケータイゲームはヒットするし、企画は通るのだろう。「楽しい」これほど単純な理由はない。
そういう意味でenchantMOONは、本にもあるように「大人ではなく、小中学生」を楽しませるマシーンだったのだ。
enchantMOONが初めてユーザーの手に届く約3ヶ月前、ゲンロンカフェで「enchantMOON Night」という伝説的イベントが開かれ、一般人が初めて触る機会に、例に漏れずぼくも参加していた。
そこで初めて触ったぼくは、これは大人、とくに会場に居るようなIT系の大人には向いていないと思った。手書きだから。
一度PCで綺麗な字をタイプすることに慣れてしまうと、なかなか自分の汚い字を直視できなくなる。あと漢字も忘れる。
その点、学生、とくに小中高生までなら手書きにまったく抵抗がない。ノートも日常的に使う。
結果的にぼくの直感は見事に当たったようだった。
当時高校生だったぼくは、広尾学園という学校に通っていた。
広尾学園は、iPadを授業に取り入れたことで一躍ITC教育の最先端と有名になった学校で、その魅力につられて入学してしまった。普通の進学校なのだが、プログラミング教育にも力を入れていることになっていてGoogleから日本のモデル校として選ばれたりしている。とはいえ、ぶっちゃけプログラミング教育はまだまだだと思う(当時はという話だが、恐らく今も変わっていないだろう)。
そもそも、生徒たちが使うiPadやChromebookでは、本格的なプログラミングはできない。terminalにすらアクセスできない。
ScratchでプログラミングするときはRaspberry Piをモニターに接続していたように記憶しているが、プログラミングにデスクトップなんてナンセンスだ。ラップトップが基本だと思う。
そこで、安価にプログラミングできる環境としてenchantMOONを使ったらいいのではないかという提案をしていた。
この提案をしたのは、もちろんUEIが品川女子学院に導入するよりはるか昔だ。
当時は、Googleとの提携とか諸々でScratchを全面的に推す方針が固まっていたらしく導入してもらえなかったが…。
とはいえ、完成間もない頃からenchantMOONは、高校生が触ればそれは自分たちのためのモノだと感覚で判断できた。
高校生だったぼくは(分析したり、考えたり、提案したりすることを通しても)enchantMOONを楽しんでいたのだと思う。
まさに、人を創造へと駆り立てる道具だったのだ。当時のぼくは気づいていなかったが。
本は、帰りの新幹線が長野に停まる頃には読み終わっていた。
読み終わったぼくは深い感動の中にいた。
それから新幹線が東京駅に着いて、さらに家に帰っても、ずっと清水さんのことを考えていた。いままで言われた言葉を思い返していた。
本は、本当の未踏領域に足を踏み入れた清水さんが砂にとられた足を、一歩、また一歩と進めようとするところで終わる。
いまの自分が恥ずかしくてたまらなかった。いまの清水さんはもちろん、20歳の頃の清水さんと比べても。
ぼくが抱いていた「俺は(自分の年齢では)誰もやっていないことをやっている。」という自負が崩れていった。
高校生のとき政治家と高校生のサステナブルな議論の場を設けたこと、全国の生徒会関係者を集めるカンファレンスを作ったこと、大きく成長したWebメディアで編集・執筆をしていたこと、リクルートやDeNAやその他大手企業のリブランディングを企画・制作していること。
どれも人がやっていることを広めたり、大きくしたりしているだけだった。自分はこの世で誰も見たことがないものを生み出しただろうか、否。
20代の目標として、「いままで以上に頭おかしく」なろうと思ったのに、いつの間にか普通で優等生な自分がいてガッカリなのである。
「ああ、清水さんにもっと学べばよかった。」
心のそこから出てきた言葉だった。もっと学べる機会は、かつてあったはずだった。
天才の呪縛。
子供の頃、幼稚園の先生に言われた「大勢の人を幸せにして、みんなの未来をつくるのよ」という言葉。
本を読み終わっても、清水さんがこの呪縛にどう囚われているのかわからなかった。
彼の心の、最も深い部分にある言葉。
彼は、物語だけさらえば、TAMO2さんや、altyさんや、中本伸一さんや、川上量生さんや、そしてアラン・ケイさんとの親交にこそ突き動かされてきたように見えた。
だとすれば、この呪縛とはなんなのだろうか。
読み終わった本を手に取り、パラパラめくって、また机に置いた。すると、この本こそが彼の呪縛の産物のように思えてきた。
なぜ清水さんは20年もブログを綴り、自分を記録し続けてきたのだろう。20年ブログを書くということは並大抵の努力ではできない。
それは、天才である自分の道筋を未来に残すこと、それこそが「みんなの未来をつくる」ことのひとつだと気づいていたからではないのか。
この本の出版後、彼がこれまでの道筋を振り返ると、歩いてきた「真っ暗な荒野」に点々と灯の道ができているように見えたに違いない。
ぼくは灯の道を辿ってきた。ぼくはその先が見たい。
KAI-YOUを退職しました
3月末をもちまして、KAI-YOU(株式会社カイユウ)を退職しました。 雇用契約上は3月31日までなのですが、会社の都合もあったりして、3月27日の金曜日が最終勤務日となり、送別会も開いて頂きました。
どうしてKAI-YOUに入ったのか
ぼくがKAI-YOUに勤め始めたのは、去年の4月1日でしたので、ちょうど一年間お世話になったということになります。 2014年3月、こんなブログを書いているぐらいには、これからの自分に思い悩んでいました。
一年勉強してもう一度大学受験をするのか。でも、そもそも行きたい大学も行ってやりたいこともない。 それだったら、いまやりたいことを全力でやる方がいいのではないか。そう思いました。
2013年の11月ぐらいからメディアを作ろうと何人かの仲間と頑張っていた時期があり、そのとき一番参考にしていたのが「KAI-YOU.net」でした。参考にしていたなら、そこにいって学ばせてもらうのが一番近道だと思い、すぐに連絡をとりました。
当時役員だった武田俊さんとは、高校時代に何度かお会いしたことがあったので、FacebookメッセージでKAI-YOUに入りたい旨を伝えたのですが、なかなか返事がありませんでした。 3月も終わりに近づいており、痺れを切らせたぼくは、直接KAI-YOUのオフィスに乗り込みました(笑)。そこで、代表の米村さん、編集長の新見さんと面接し、4月1日にもう一度きて欲しいとだけ言われました。 面接の感触は悪くはなかったのですが、なにせ社会人経験がないため、実際にはどうだったのか、まるでわかりませんでした。
4月1日、11時にオフィスに行くと、大忙しの様子でした。行ってから知ったのですが、その日はエイプリルフール企画で「KAI-YOU.net」を“ナイトポップ”な仕様にしていたそうなのです。 10分ほど、再度面接した後、今日から働いてくれと言われました。編集・ライティング、デザイン、エンジニアリング、どれも一般人よりは多少できるという程度で、実際にはゼロからです。
その日最初に書いた記事が「『終物語(下)』、アニメイトの天井を突き抜ける──嘘41連発の中のホンモノ」でした。
この記事は、エイプリルフールという時事性の高いネタだったということも相まって、Twitterを中心にかなり読まれました。 自分の書いた記事が(といってもかなり校正されてどこまでが自分かわからないですが…)たくさんの人に読まれるという独特の興奮のようなものを味わいました。
KAI-YOUでやったこと
その後、3日ぐらいかけて「KAI-YOU .net "NEW POP AUTHORS"」というLPを作成しました。「KAI-YOU.net」で始まる新連載を一挙に紹介するページです。
デザインはCKSさん。コーディングをぼくがやりました。
それがひと段落すると、今度はYahoo! CSRのページのデザインをやることになりました。2014年度版になるということで、昨年のデザインを踏襲しながら、なるべく新要素を増やさずデザインすることに苦しみました。
このカード型のページ下リンクはぼくがデザインしたものです。
その間に、もちろん記事も書いており、「ニコニコ超会議3」などで取材の経験を積んで、一人で取材に行けるぐらいには成長していました。
あとYahoo! JAPANトップページに自分の書いた記事が初めて載りました。 ヤフー砲って本当にあるんですね。
頑張ってYahoo! JAPANトップページに載るような記事を研究し、書いたのがこの記事です。
分析通り、トップページに載って嬉しかった!
Slackの記事がヒット 大きなプロジェクトにも関わるように
7月中旬に、それまでSkypeでやっていたコミュニケーションに耐えられなくなり(とくにiPhoneに既に読んだ数千のメッセージが通知されるのが最悪。。)ちょっと話題になりだしていたSlackを導入しましょうと提案しました。 実際に使ってみたところ、とても使い勝手が良く、「イノベーションが起きた」そうで、革新的採用者(イノベーター)というあだ名がつきました。
8月1日からは「KAI-YOU.ch」という新しいサービスも開始しました。ニコニコチャンネルでの動画配信です。 ライブブロードキャスティング周りに強い人間がぼくしか居なかったこともあり、機材の選定から実際の配信までほとんどやっていました。
同時期にDMM NEWSの契約をとりつけたりもしてました。
そんなこんなで夏が過ぎ、今度はイベント制作をやることになりました。これ10月ぐらい。 高校時代からの友達、ハヤカワ五味さんに2.5D MARKETでファッションショーをやってもらうことにしました。 その後、LINE Creators Marketとコラボレーションしてイベントをやることになるのですが、その時に2.5Dでのイベント経験が役立ちました。 イベントは大成功に終わりました。
オフィス移転 最忙の11月〜12月
オフィスも渋谷に移転し、デザイン事務所のMIRRORさんとオフィスをシェアすると共に、2.5Dさんとも近しくなりました。よく三社での飲み会が開催されてましたね。
この辺りから一気に忙しくなり、
- SWITCH、MdNでの原稿執筆
- KAI-YOU × LINE Creators Marketイベント企画・運営(ほぼ一人)
- 「KAI-YOU.ch」の本格化
- 「KAI-YOU.net」での記事執筆
- その他諸々
- KAI-YOUとは関係ないが、個人的に世間を騒がせた某小学4年生への反応・対応(主に2chのチェック)
などが一気に押し寄せてきて、11月後半から12月中旬にかけては、ほとんど休む暇も無い感じのタイトスケジュールになってました。 年末も30日までコミケの取材でしたし。
2015年からは週3回勤務に
逆に1月からは、個人的要望で週3回の勤務にしてもらい、多少ゆったりしたスケジュールになりました。 KAI-YOUでの仕事も記事を書いたりすることが多くなり、以前のように大きな事業を動かしたりすることも少なくなりました。 唯一関わったのは、ニコニコユーザー記者の企画です。JASTというニコ生主集団(?)の人たちと一緒に記事を作ったりしました。 ギャルと一緒にゲーム実況したり、山手線一周歩いたり……。楽しかったなぁ。
これからのこと
送別会では、楓太だからということで、Hootersに連れて行ってもらいました。 MIRRORさんからは、Happy Socksというイケてる靴下を頂きました。
KAI-YOU 2014年度完 pic.twitter.com/o5V97lr8DY
— 米村 智水 (@TYonemura) 2015, 3月 27
4月からは、コンテクストデザイナーの高木新平率いる新会社でメディア展開やWeb制作などを包括したブランディング事業などに携わる予定です。 1月頃に一緒にやらないかというお話を頂き、3月上旬頃にもう一度お会いしたときに実際にやる仕事などについて聞き、自分の力が発揮できそうだなと思い決めました。 また、1月よりKAI-YOUに行っている日以外で始めた諸々も続けていく予定です。
今後ともよろしくお願いします!
広尾学園高等学校を卒業しました。
広尾学園高等学校を卒業しました。
三年間お世話になりました。ぼくは決して優等生ではなかったけれど、良い出会いに恵まれたおかげで充実した高校生活を過ごせました。
三年間の締めくくりということで、何か残したい。そう思って卒業文集を作りました。
広尾周辺のオシャレなカフェでの座談会を編集したものです。今の高校生がどんなことを考えてるのかわかるかもしれません。クラスメイト以外が読んでも面白いように編集したつもりですので、ぜひ見てみて下さい!
ISSUU - HIROO GAKUEN Senior High School'2013 Graduation essay by ogawa0071
広尾学園では入学直後にスコレー合宿という学校保有施設でのレクリエーション合宿があります。高校に入学したてで右も左もわからない中、ぼくは高校時代の目標を決めました。
「TVの取材が来るような人になる。」
それから三年…。色々なことがありました。
続きを読むやっぱり『プラネテス』が好きだ。
今まで見てきたアニメは数あれど、やっぱり『プラネテス』が好きなんだなと実感した。久々に見た、とかじゃないけど。たぶんもう1年ぐらい見てないけど。
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プラネテスは2075年ぐらいにデブリという宇宙のゴミを回収する業務に就く人たちの群像劇。「宇宙とは…」「自分とは…」というような人間の根本的な問いが軸になっているアニメだ。
初めて見たのは小学校二年生のとき。父親と一緒にTSUTAYAにDVDを借りに行ったときに、ぼくはポケモンを借りたいと言ったのに、こっちの方が面白いからと言われてしょうがなく見た。アニメといったらコナンとか遊戯王とかポケモンとかしか見たことなかったので衝撃だった覚えがある。
最近では、最も好きなアニメって聞かれると必ず『エヴァンゲリオン』って答えてたけど、やっぱり『プラネテス』の方が好きかもしれない。
まあもちろん『エヴァンゲリオン』も最高に好きだけど。もうその辺りになってくるとランク付けできないよね。
トップ5は絶対に『プラネテス』、『エヴァンゲリオン』、『秒速5センチメートル』、『攻殻機動隊』、『CLANNAD』で揺るがないだろうな。
そのうち、『CLANNAD』以外は小学生のときに見てるんだよな。父親のススメで。
中学生のときに初代iPod Touchで見まくってたのを思い出すなあ。『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』はたぶん100回以上は見た思う。
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う〜む。親の影響は大きいですね。