広尾学園高等学校を卒業しました。
三年間お世話になりました。ぼくは決して優等生ではなかったけれど、良い出会いに恵まれたおかげで充実した高校生活を過ごせました。
三年間の締めくくりということで、何か残したい。そう思って卒業文集を作りました。
広尾周辺のオシャレなカフェでの座談会を編集したものです。今の高校生がどんなことを考えてるのかわかるかもしれません。クラスメイト以外が読んでも面白いように編集したつもりですので、ぜひ見てみて下さい!
ISSUU - HIROO GAKUEN Senior High School'2013 Graduation essay by ogawa0071
広尾学園では入学直後にスコレー合宿という学校保有施設でのレクリエーション合宿があります。高校に入学したてで右も左もわからない中、ぼくは高校時代の目標を決めました。
「TVの取材が来るような人になる。」
それから三年…。色々なことがありました。
同じクラスだったザ・生徒会長(中学のときからずっと生徒会)島田美樹に誘われ生徒会に入りました。インパクトの大きいポスターを作って度肝を抜いてやろうと頑張りました。せっかく入ったのにドラマのようにはならず、先生の言いなりになって働くしかないことにイライラしました。予算をたくさん使う割には中身ゼロの生徒会誌を全面リニューアルしようと奔走しましたが上手くいきませんでした。なんとか生徒総会だけは面白みのあるものにしました。
高校一年の8月30日、現代社会の授業に出てきた東浩紀さんに惹かれオフィスに突撃しました。ゲンロン(当時はコンテクチュアズ)のイベントに参加するようになりました。イベントの後は始発まで懇親会で可愛がってもらいまいた(酒は一切飲んでいない、親の許可があれば18歳未満でも深夜外出可)。五反田ロマーノとマルミーチェ、ゲンロンカフェはぼくにとって永遠に最高の空間です。
友の会総会でスタッフをし、その楽しさから社員にしてくれと頼みましたが断られたこともありました。総会の後、28時頃に浅子さんと行った恵比寿の天下一品の味は絶対に忘れられないと思います。NHKの番組収録梅原猛さんにお会いしに京都までくっついていったこともあいりました。2012年度は一年間早稲田大学の授業にもぐっていました。その後、バイトさせてもらったりなんだり色々あって、福島第一原発観光地化計画にオブザーバーとして参加させてもらえるほどまでになりました。
5月には電子教科書の現状に不満を抱き、DITT(電子教科書教材協議会)や田原総一郎さんに突撃しました。孫さんに直談判しにソフトバンク本社に行ったりもしました(結局会えませんでしたがw)。学校を辞めて電子教科書の会社を立ち上げようとしていたのです。結局できませんでしたが。
行き詰まっていたぼくにドキュメンタリー映画「はじまりの記憶 杉本博司」からとても力をもらいました。見終わった後涙が止まらなかったのを覚えています。その中に出てきた「護王神社」のある直島に行くこと、そして杉本博司さんに会うことが目標になりました。オフィスの場所も連絡先もわからないので、何日も杉本さんの奥さんのギャラリーに通いましたが結局会えませんでした。
そして、2012年夏… 今の「実績」のほとんどはこの夏に芽吹いたものでした。
Google社を見学してみたかったのでTLにたまたま流れてきたイベント「Google×カタリバ」に行き、青木大和ほかと出会いました。
これまた母親のTLにたまたま流れてきた“直島”で開催されたサマーキャンプ「GAKKO 2012」に参加し、南藤優明、楠正宏ほかと出会いました。世界の広さを思い知らされました。
高校二年の二学期に入り、夏に見学しに行った京都大学に惹かれ勉強を始めましたがなかなか成績が伸びませんでしたが、知り合いのつてもあって10月頃に小田原映画祭で杉本博司さんにお会いできました。福島第一原発観光地化計画のオブザーバーになったのもこの時期でした。
年が明け、再会した青木大和に誘われ「僕らの一歩が日本を変える。」の運営となりました。ほとんど同時期にウチに遊びにきた南藤優明と「全国高校生徒会大会」を立ち上げました。
生徒会大会では生徒会でイライラした教師の言いなりになるしかないという状況を覆すべく「全国生徒会連合」的なものを作ろうとしていました。結局作らなかったんですが…。その辺りの詳しい顛末はこちらをどうぞ。
2月にはNESというビジネスコンテストにも出場し、最終審査まで勝ち上がりました。この頃には京都大学ではなく慶應義塾大学SFCにAO入試で入りたいと思うようになりました。AO義塾にも入塾しました。
そして3月。ぼく1と生徒会大会が共に成功しました。楠正宏の推薦で灘校の東京合宿に参加したり、夏の参議院議員選挙対策のためにすずかんさんの事務所に出入りするようになりました。
今振り返ると、高校時代の目標「TVの取材が来るような人になる。」は「僕らの一歩が日本を変える。」や「全国高校生徒会大会」での活動で達成できたように感じます。
三年間で多くの人にお世話になりました。
その中でも特に竹山先生、田中先生、そして東浩紀さんに感謝したいです。
竹山先生は三年間現代文の授業を担当してくれました。三年生のときは担任でした。広尾学園で最もぼくを理解して支えてくれた先生です。
田中先生は一年生のときに現代社会の授業を受け持ってくれていました。田中先生が作ったプリントで東浩紀さんの文章が取り上げられなければぼくは今のようにはなっていないでしょう。
東浩紀さんに出会ってからぼくの高校生活(社会編)は始まりました。ぼくは東さんがいなければ今のようには絶対になれていません。何者でもないバカな高校生相手に真剣に向き合って下さった。本当に本当に感謝しています。
ただがむしゃらに走り抜けた三年間だったと思います。でも最高だった。それだけは確かです。
高校時代にとても多くの人と出会いました。ありがとうございました。
そしてこれからは「高校生じゃない小川楓太」の始まりです。よろしくお願いします!