まだ見ぬ未来に続く道/清水亮「プログラミングバカ一代」を読んだ
清水亮さんが20年来書いてきたというブログを再編集した本「プログラミングバカ一代」を読んだ。
20年というのは、ぼくが生まれてからいままでということだ。
- 作者: 清水亮,後藤大喜
- 出版社/メーカー: 晶文社
- 発売日: 2015/07/25
- メディア: 単行本
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今週末は法事のため、母方の実家である金沢に帰っていた。今年頭に新幹線が開通して近くなったとはいえ片道3時間弱はかかるので、発売日にAmazonから届いていたものの危うく積読になりかけていた「プログラミングバカ一代」を持ってきた。
ぼくは本が届くと、まず前書きだけを読む。読んで惹きつけられればとりあえず机の上に置いておくが、惹きつけられなければそのまま本棚にしまわれる。そして、本が必要なときは机の上に置かれている中から気分で選んで持っていくのだ(Kindleの本もあるので持っていくのはガッツリ読めるときくらいだけど…)。
「プログラミングバカ一代」はenchantMOONなどで知られるUEI社長の清水亮さんのブログを共著者の後藤大喜さんが編集したものだ。
そもそも清水さんは、読みやすい文体と濃密な内容で有名なブロガーでもある。ブログははてなダイアリーを始めるずっと前から書いてきたらしく、曰く「エヴァンゲリオン放映時の1995年から20年にわたって書き続けてきた」そうだ。
清水さんとは、東浩紀さんが主宰していた研究会「福島第一原発観光地化計画」に、ぼくが無理いってオブザーバーとして参加させてもらっていたときに何度かお会いしている。
ゲンロンカフェのプレオープンパーティーでは、Togetterの代表・yositosiさんやUEIの他の社員さんを紹介してもらったりと、とても親切にして頂いたことをよく覚えている。
(写真:ゲンロンカフェプレオープン)
そういうわけで読み始めた「プログラミングバカ一代」だったのだが、あまりにも面白かった。面白すぎて金沢観光が味気ないものに感じられるほどだった。
田舎のプログラミングが好きな学生だった清水さんが、中高校生時代を4年も注ぎ込んで作り上げた3Dグラフィックスライブラリについて書いた記事をアスキーに送り掲載され、そして大学進学と共に上京しライバルと呼べる人たちと出会い、ドワンゴでケータイゲームをブレイクさせ、UEIとして独立し、そしてenchantMOONを発明して、遂に歴史の最先端、本当のフロンティアに立ったという物語だ。
本をそのまま読むと天才が時代を背負うまでの話という感じなのだが、実際にはもう少し生活感がある話なのかなと想像したりもする(妙に張り切っているときは、じつは女性にふられた後…とか)。
ぼくやぼくが直接見た現場を書いた記事も清水さんのブログにはあるのだが、経験上、多少の脚色があるので読んだ感覚 x 0.8 ぐらいだと思うのが丁度いいのかもしれない。
ズルいのは、明確に脚色したりしないこと。読者が勝手に誇張して想像するように書かれているのだ。そして恐らく誇張された受け取り方をしていても否定はしない。まさに初期ドワンゴがやっていた営業手法とそっくり(笑)。
もちろんそれは、悪い意味ではなく、むしろ最高だ! 清水さんは話を聞いていてもブログを読んでいても人をワクワクさせる。
この人はドワンゴにもともと向いてなかったんじゃないかな。「エンジニアなのに焼きそば焼くとか楽しすぎ!wwww」って思えなかったわけで。俺は喜んで肉焼くけど http://t.co/WXr3IMZV4i
— Ryo Shimizu (@shi3z) 2015, 9月 2
最近の話題だと、このツイートがまさに人柄を表していると思う。つまり、何事も全力で楽しんでしまう人なのだ。
だから人を楽しませることができる。
本は、プログラミングの天才として描いているけれど、実は人を楽しませる天才でもあるのではないかと思う。
だからケータイゲームはヒットするし、企画は通るのだろう。「楽しい」これほど単純な理由はない。
そういう意味でenchantMOONは、本にもあるように「大人ではなく、小中学生」を楽しませるマシーンだったのだ。
enchantMOONが初めてユーザーの手に届く約3ヶ月前、ゲンロンカフェで「enchantMOON Night」という伝説的イベントが開かれ、一般人が初めて触る機会に、例に漏れずぼくも参加していた。
そこで初めて触ったぼくは、これは大人、とくに会場に居るようなIT系の大人には向いていないと思った。手書きだから。
一度PCで綺麗な字をタイプすることに慣れてしまうと、なかなか自分の汚い字を直視できなくなる。あと漢字も忘れる。
その点、学生、とくに小中高生までなら手書きにまったく抵抗がない。ノートも日常的に使う。
結果的にぼくの直感は見事に当たったようだった。
当時高校生だったぼくは、広尾学園という学校に通っていた。
広尾学園は、iPadを授業に取り入れたことで一躍ITC教育の最先端と有名になった学校で、その魅力につられて入学してしまった。普通の進学校なのだが、プログラミング教育にも力を入れていることになっていてGoogleから日本のモデル校として選ばれたりしている。とはいえ、ぶっちゃけプログラミング教育はまだまだだと思う(当時はという話だが、恐らく今も変わっていないだろう)。
そもそも、生徒たちが使うiPadやChromebookでは、本格的なプログラミングはできない。terminalにすらアクセスできない。
ScratchでプログラミングするときはRaspberry Piをモニターに接続していたように記憶しているが、プログラミングにデスクトップなんてナンセンスだ。ラップトップが基本だと思う。
そこで、安価にプログラミングできる環境としてenchantMOONを使ったらいいのではないかという提案をしていた。
この提案をしたのは、もちろんUEIが品川女子学院に導入するよりはるか昔だ。
当時は、Googleとの提携とか諸々でScratchを全面的に推す方針が固まっていたらしく導入してもらえなかったが…。
とはいえ、完成間もない頃からenchantMOONは、高校生が触ればそれは自分たちのためのモノだと感覚で判断できた。
高校生だったぼくは(分析したり、考えたり、提案したりすることを通しても)enchantMOONを楽しんでいたのだと思う。
まさに、人を創造へと駆り立てる道具だったのだ。当時のぼくは気づいていなかったが。
本は、帰りの新幹線が長野に停まる頃には読み終わっていた。
読み終わったぼくは深い感動の中にいた。
それから新幹線が東京駅に着いて、さらに家に帰っても、ずっと清水さんのことを考えていた。いままで言われた言葉を思い返していた。
本は、本当の未踏領域に足を踏み入れた清水さんが砂にとられた足を、一歩、また一歩と進めようとするところで終わる。
いまの自分が恥ずかしくてたまらなかった。いまの清水さんはもちろん、20歳の頃の清水さんと比べても。
ぼくが抱いていた「俺は(自分の年齢では)誰もやっていないことをやっている。」という自負が崩れていった。
高校生のとき政治家と高校生のサステナブルな議論の場を設けたこと、全国の生徒会関係者を集めるカンファレンスを作ったこと、大きく成長したWebメディアで編集・執筆をしていたこと、リクルートやDeNAやその他大手企業のリブランディングを企画・制作していること。
どれも人がやっていることを広めたり、大きくしたりしているだけだった。自分はこの世で誰も見たことがないものを生み出しただろうか、否。
20代の目標として、「いままで以上に頭おかしく」なろうと思ったのに、いつの間にか普通で優等生な自分がいてガッカリなのである。
「ああ、清水さんにもっと学べばよかった。」
心のそこから出てきた言葉だった。もっと学べる機会は、かつてあったはずだった。
天才の呪縛。
子供の頃、幼稚園の先生に言われた「大勢の人を幸せにして、みんなの未来をつくるのよ」という言葉。
本を読み終わっても、清水さんがこの呪縛にどう囚われているのかわからなかった。
彼の心の、最も深い部分にある言葉。
彼は、物語だけさらえば、TAMO2さんや、altyさんや、中本伸一さんや、川上量生さんや、そしてアラン・ケイさんとの親交にこそ突き動かされてきたように見えた。
だとすれば、この呪縛とはなんなのだろうか。
読み終わった本を手に取り、パラパラめくって、また机に置いた。すると、この本こそが彼の呪縛の産物のように思えてきた。
なぜ清水さんは20年もブログを綴り、自分を記録し続けてきたのだろう。20年ブログを書くということは並大抵の努力ではできない。
それは、天才である自分の道筋を未来に残すこと、それこそが「みんなの未来をつくる」ことのひとつだと気づいていたからではないのか。
この本の出版後、彼がこれまでの道筋を振り返ると、歩いてきた「真っ暗な荒野」に点々と灯の道ができているように見えたに違いない。
ぼくは灯の道を辿ってきた。ぼくはその先が見たい。